スピリチュアルな視点で・・・次回へ続く。①
昨年の年の暮れに、主人の古くからの友人の息子さんが、16才という若さで、自転車に乗っていて車にはねられ、お亡くなりになられました。
交通事故にあう少し前まで、お父さんと外食をされ、楽しい一時を過ごされていたようです。
親が子を失う悲しみは、計り知れなく、今こうやって記事にしていても、そして話しを思い出しただけでも、心がジ~ンとなってくるような思いがします。
親は、喩え全てを失い、この身一つだけになったとしても、「子供だけ残っていれば、それだけで幸せ。感謝できる。」そう思えるのではないでしょうか。。。
そして、この身と引き替えにしてでも、子だけは守りたい!と強く思うのが親心だと思います。
ときどき世間では、その親心が、無惨で残酷で卑劣な形になって、考えられないようなニュースが耳に入ってくる場合も、例外としては有りますが・・・。
そんな子供が自分よりも先に逝ってしまうという悲劇を、少し、いや、大分、悲しくも重たい記事になることを承知の上で、色々な観点から見ての、「家族の死」「宿命・運命」や他の視点からも、これまで考えたことが無い方が考える切っ掛けとなればという思いで、また、驚くほど長い文章となってしまうかも知れませんが、様々な著者の力を借りて、何回かに分けて、私のブログの記事にしてみたいと思います。
まず、私が、スピリチュアルに興味を持つ切っ掛けとなり、マスコミで良からぬ話題で、叩かれていたことが有った江原啓之さんの文章ですが、そんな、マスコミに叩かれている最中も、私はこの方をいつも自分の目で判断し、信頼しておりました。
ですので、今回も、この方の著書のお力をお借りして、スピリチュアルな見方をした人の死について、人生について、書かさせて頂きたいと思います。
それでは、以下に、お悔やみと追悼の念を込めて、転載させて頂きたいと思います。
『兄が突然死。母も闘病の末、他界。心の支えだった恋人までが突然死。私は不幸な星のもとに生まれたのですか?』
スピリチュアル・カウンセラーとしての、のべ何万というご相談を受けてきた私は、苦労の多い人生、少ない人生というのは確かにあるなと実感しています。どこにでもいそうな、一見何の悩みもなさそうな明るいお嬢さんが、自分以外の家族は全員病に悩んでいるといった、とてつもなく重い苦労を背負っていることもあるのです。
今回のご相談である四十代の女性も、数々の苦労を重ねておられる方です。
実兄が昨年、単身赴任で突然死。兄嫁は田舎の人間関係を嫌って家を出たため、両親の世話はずっと自分がしていた。
しかし先日、母親が他界。母はそれまで二十三年間入退院を繰り返しており、晩年の五年間は、ほぼ寝たきりだった。
母の介護のために結婚せずにいた自分にも、恋人という心の支えがあった。しかしその彼までも実兄の死から間もなく突然死してしまった。
自分は不幸な星のもとに生まれたのだろうか。人には生まれながらに決められた運命があり、変えることはできないのだろうか・・・とのことです。
大きな悲しみを、しかも立て続けに経験されたのですね。そこで「人の運命は変えることはできないのか」といった疑問が生まれたのでしょう。
あまりに苦労が重なって、それに押しつぶされそうな時、「運」の良し悪しという視点から「自分は不幸な星のもとに生まれた」と考えてしまうのも無理のないことかもしれません。また、自分を慰めるためにはそう考えるしかないのだという心境も、私自身、スピリチュアルな視点に目覚めるまで悩み苦しんだ一人の人間として、わからなくはありません。
しかしそれは、実は「この一生だけがすべて」と思い込むことが生じているとても狭い見方です。スピリチュアルな視点では、この一生は長い長いたましいの旅路の、ほんの一幕にすぎません。私たちの本質はスピリチュアルな存在であり、生と死をくり返しつつ、輝くたましいへと成長するために、長いたましいの旅路を歩んでいるのです。
その為に必要なのが、多くの「経験」と「感動」をそこに刻むこと。それを果たせるのが、「この世」という場なのです。
あなたが経験した悲しみや苦しみは、一つ残らずすべてあなたのたましいのたましいに刻まれ、あなたの成長と輝きのもとになります。
たましいにとって無駄な経験は一つもありません。どんな苦労もあなたの受け止め方しだいで、そこに輝きを与えてくれる磨き砂としてプラスに生かしきることができるのです。
もう一つ、理解して頂きたい大事なことがあります。それは、「運命」と「宿命」はまったく別だということです。
「宿命」とは、誰もが持って生まれてきた、一生変えられない要素のことです。たとえば、生まれた国、時代、自分の家族、性別、肉体、寿命。これらはすべて宿命です。変えられないと言うと不自由に聞こえるかもしれませんが、宿命を決めたのは自分自身のたましいです。
この宿命を持って生きるのが自分には一番学びになるからと、生まれる前に自ら選んだのです。
宿命は、いわば自分の人生のテーマ、あるいはカリキュラムのようなもの。過酷な宿命を選んで生まれた人は、自分を鍛えることに人並み以上に熱心なたましいと言えるでしょう。
また宿命には、持って生まれたものだけではなく、人生の途中であらわれるものもあります。あなたがまだ若いお兄様を亡くしたことも、一つの宿命でした。
一方の「運命」は、生きていく過程で自分の意志で作っていける要素のこと。日常の出来事や人との出会いは、だいたいが「運命」の範疇(はんちゅう)です。
人生には、自分なりの考え方や自由意志、創意工夫や努力、行動しだいで変えられることがとても多いのです。その証拠に、同じ国、時代、家族という宿命を共有して生まれた双子がまったく同じ人生を歩むかと言うと、そうではないはずです。ですから「人の一生はすべて決まっている」ということはありません。
料理にたとえると、宿命は素材、運命は料理の出来ばえです。人はみな自分に必要な素材しか持たずに生まれてきます。しかし、その料理の出来は、一生をいかに過ごすかという本人の腕しだいなのです。持てる素材のうまみを十二分に引き出し、美味しい料理を作ることこそ、人生のまさに醍醐味なのです。
と、ここで、あまりにも長くなりそうなので、一旦区切って、また次回の記事で転載させて頂きます。
いつもなら、このまま、続けて、突っ走るように書かせて頂いたのですが、今年からは、このような書き方も有りかも。と思い、投稿の仕方を変えさせて頂きました。
ここまで読んで下さった方は、また次回も、是非!続けて読んでくださいませ。![]()
では、今回は、とりあえずここまでとさせて頂きます。![]()
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コメント
わあ。。。



」って感じで、伝わってきました。


」←時代劇風にお詫びを。



続きのことが気になって、自分のブログを開けてみると・・・、なんと!私のブログのコメント欄にneo201さんが来て下さっているでは有りませんか~!
急に、トマト栽培はやめてしまいましたが、あの場には、人と人との交流の素晴らしさや、また、励まし合い助け合いの素晴らしい場が、こんな遊びの世界に展開されていたとは~!って、感動していたのですが、私の性格では、少しばかり向いていないようで、比較してもいけないのですが、野菜作りで交流している時間があれば、もっと、その時間を読書だとか家事だとか、もっと違うことの時間に費やしたいと思ったので、皆さんにお世話になっていたにも関わらず、収穫を待って、早速と一度限りのトマト栽培だけで、退会してしまいました。
ですが、何だか、色々な出会いがあって、トマトができることの喜びよりも、優しい皆さんのメッセージが何よりも嬉しかったです。
それにしても、neo201さん!私のブログを探し出して来て下さって、本当に有難うございます!
neo201さんには、何かご縁を感じたので、あれから、他の方のfarmから入って探させて頂いたのです。
いつも、お仕事でお忙しくされ、なかなか、メッセージでもお話ができませんでしたが、たった少しだけのメッセージのやり取りだけでも、neo201さんのお優しい感じが直ぐに伝わってきましたよ。
そして、今回のコメントで、益々、「やっぱり~!
そして、このようなスピリチュアル的なことは、受け入れられる人と受け入れられない人がいらっしゃると思うのですが、とても、興味を示して頂き、感激しております。
宜しければ、また、たわいもないことでも何でも結構ですので、コメント欄を通じて、遊びに来て下さいね。
そして、お話できれば、とっても嬉しいです。
お暇な時で、結構ですので!
そして、今回のコメントのお話ですが。
すでに、今現在のneo201さんは、とても親孝行されていますよ。
私も親であり、母だから分かるのです。
母になって、子供がしてくれる一番の親孝行は、それは、「どんな苦難にも打ち勝って、力強く、天命を全うしてくれること。生きるということに挑んでくれること。」なのです。
物質的に、何か貰いたいとか、何か、老後の世話をして欲しいとか・・・。それは、子供に対する真の意味での愛ではないと、私は思っています。
とにかく、「人様に迷惑を掛けず、生きて、生きて、生き抜いてくれること。」それだけが、私の子供に望む大きな、そして、ささやかな希望なのです。そして、とても有難い親孝行だと思っています。
親が子供の事を心配する気持ちは、生きてる間は、ずっと付きものだと思います。だって、誰より大切な人のことを心配するのは当然のことですものね。
それに、真に大事なものが見えてきた。と、おっしゃるneoさんも、今が、神仏やスピリチュアルに入る最初のステップなのかも知れませんよ!
私は、人の思想も、このようなことも、決して押しつけてはならないことだと思っていますし、あちらから話しを聞きに来て下さるのは良いのですが、自分から強引に話しを聞かせるようなことは、あまり好ましくないことだとも思っています。
ですが、以前にも興味を持たれたことがあったのなら、是非に、これからも少しずつこのような世界を探ってみてはいかがかと思います。
きっと、怖いもの知らずの、素晴らしい人生が展開されていくことだと思います。
では!私は記事もコメントもお返事も、もの凄く長文になることが度々ですが、どうぞ、お許し下さいね。
そして、来て頂いて早々、生意気なことの数々も言ってしまって、「重ね重ね、どうか許して、おくんなさいましぃ。
では!また宜しければ、是非!お話しましょうね!!
そうそう!「ただんま~!」って、また来て下さい。お待ち申し上げておりまする。
投稿: たんぽぽより☆neo201さんへ | 2009年1月 8日 (木) 09時34分
やっと辿り着きましたヽ(´▽`)/
自分は独身、子供もいませんが、その悲しみは分かるつもりです。若かりし頃は両親をかなり心配させましたし、泣かせたと思います。それでも見守ってくれていたのは、私が元気に生きていたからでしょうね。
以前、スピリチュアルに興味を抱いたことがあり、最後まで読ませていただきましたし、次回を興味津津と待っています。
自分が生きる理由、生きてる間になさねばならぬこと、人によってマチマチでしょうが。自分の中での確たるものを築きつつある今、真に大事なものが見えてきてるような気がします…気がするだけなんだけど(笑)
今日も目が覚めましたので、させて頂くことが何かあるのでしょう。それが何かを模索しつつ、今日も笑顔で元気にしっかり生きようと思います。
朝から重い話でスミマセン(;;;´Д`)ゝ
では、また。
投稿: neo201 | 2009年1月 8日 (木) 06時56分