仏教

宗教に対する私の想い。

今日は、2度目の投稿となっておりますが、産経ニュースの方で、とっても興味深い内容の記事を発見致しましたので、ここに抜擢させて頂きたいと思います。happy01

では、さっそく、以下に転載です。(*^-^)

元気のでる歴史人物講座】(49) ジョセフ・メーソン神道を理解した西洋人

2009.12.09

 昭和初期、日本文明の価値を世界に訴えた一西洋人がアメリカのジョセフ・メーソンである。

 彼が日本に関心を寄せるきっかけは日露戦争である。日本の勝利に驚嘆したメーソンは以後三十余年、日本研究に没頭した。たどりついた結論が近代日本躍進の原動力は神道にあるということであった。彼はいう。

 「日本人はその民族的潜在意識を保持すること、他の諸国民よりはるかに長かった」

 メーソンはこの民族的潜在意識を表現したのが古事記、日本書紀に記される日本神話であるという。

 日本人は神話の時代から今日まで人間の原始的心情を持ち続けてきた稀有(けう)の民族であった。外来の宗教、思想にのみこまれることなく仏教や儒教を融合し、民族本来の信仰、精神、生き方すなわち神道を決して失わなかった。メーソンは神道をこう理解した。

 「(神道の)元の名は神(かん)ながらである。ながらは『自発的』『と同じ』『…から』を意味する。神ながらというのは『すべてあるものは神なり』を意味している」

 日本人は人間のみならず他の生物、天地自然のすべての存在を神のいのちの表現として、天地自然の万物を崇拝してきた。キリスト教などの一神教のそれとは根本的に異なる日本人の生命観、自然観、世界観を是としたメーソンは「私はシントイスト(神道者)である。私は世界に比類のない神道を信奉する」と述べた。彼の遺骨は遺言により日本に眠っている。(日本政策研究センター主任研究員 岡田幹彦)

以上で転載終わりです。

今、私は、八百万の神々や神社にとっても興味があり、自身のブログにも最近では、度々そのようなお話しも出させておりますので、今日は、このニュースにとても目が惹かれました。

以前に、あるサイトで、ヒトラーも日本の神道のことを高く評価されていたというような内容の記事を読んだこともありましたが、やはり、今、私がとても興味惹かれている日本神道とは、とても素晴らしいものなのだな~。って、今日は、この記事を読ませて頂いても、つくづくそう思いました。

かと言って、他の宗教は?良くないの?駄目なの?とも思えず、私は、そもそも、神道よりも、ず~っと仏教や仏を愛する人間でもありましたし、かと思えば、イエス・キリストの生き様には、本当に胸を打たれ感動し、宗教とは、これが良い、悪い、の問題では無く、自分にとって、これが正しいと心から受け容れられるものを、心の中に宿し、その光を心の拠り所として生きていけば良い!と思っているのです。

ですから、私にとっては、神道も、仏教も、そして、キリスト教も、全ては一体であり、宗教とは、「人を生かし!救うもの!」であると普段からも思っておりますので、宗教の信者同士が、「我、信じる宗教が正しい!我こそが真の信者である!」と、いかにも、自分達が信仰している宗教が正しい!というように争うことなどは、「言語道断!」だと思っております。

それは、それこそ、宗教の意味から、そして軸から、はみ出した行為だと言えるのではないでしょうか。

宗教の為に、人と人が争うということ。。。それのどこが、人を生かし、人を救うことだと言えるのでしょうか?これは、宗教というものから、かなり矛盾し、かけ離れた行為だと言えるのではないでしょうか。

そして、そのような行為を望む神仏など、私にとっては、断固として神仏と認める訳にはいきません。そして、勿論、宗教とは、神仏を競い合わせるものでも無いはずです。

宗教とは、まず土台に愛が根底にあり、人を生かし、人を救うという光が無くてはならないと、私はいつも強くそのように思っているのであります。

ですので、全ては、その土台や根底とするものを元に考え、全ての宗教は皆、一体であって良いと思うのです。

神や仏とは、人間が想像するよりも、もっと、もっと、偉大で大きな存在であると思いますし、また、そうでなければならないものだとも思っています。

このような、混乱や闇の時代だからこそ、今こそ、宗教は一体となり、人を導き、心より救い出すものでなければならないと思うのです。

その為には、従来の枠や形、形式、意味の無いこと、そのようなことを早急に改め、改革していく必要があると思うのです。

その先頭に立つべき国民は、やはり、この応用力豊かである日本人であり、日本民族であると、私はそう思うのです。

まず、その為にも、これは、いつも思っていることなのですが、仏教の、あのお経です。

お経とは、全てに深い意味があるものだと思うのですが、何も中国から日本に伝来して来たからと言って、何故に、あのように漢字ばかりを並べた訳の分からない経文として読まなければいけないのか・・・。また、あげなければならないのか。。。

あれでは、もったいない!非常にもったいなさ過ぎる!という思いで極まりないのです。

もしも、あのお経が、私達日本人にとって、もっともっと、分かりやすい経文であるならば、私達は、普段から、もっともっと、仏教の素晴らしい教えに慣れ親しむことが出来るのではないだろうか・・・。

せっかくの尊い教えが、あのような訳の分からぬ、漢字ばかりが並ぶ経文であるに過ぎないということは、非常に残念でなりません・・・。

この応用力豊かであるが上に、戦後ここまで経済大国にのし上がってきた、日本人らしからぬ行いであると、私は、あのお経を聴く度に、疑問に思うのです。

もしも、お通夜やお葬式に行ったとき、私達の心に溶け込むようなお経であれば、どれだけ、私達はその場で多くを学ぶことが出来ることか・・・、そして、残された遺族も救われるであろうことか・・・。

仏教については、その尊さを後世にも生かし続ける為にも、そして、この混乱、闇世を光で照らし救う為にも、早急に改革が必要であると、私は、ずっと、ずっと、そのように思えてなりません。

それは、きっと、異次元のあちらの世でも、希望されておられることなのではないかと、私はそのように思うのです。

今回、この神道の記事が切っ掛けとなり、日頃から、ずっと書きたかった私の仏教に対する熱き思いを、ここまでの展開で語ることが出来て、今、とってもスッキリしています。

大切なことは、本質であり、形では無い!大切なことは、形式では無く、心である!と、私は強く信じております。

何卒、その思いを、今後の仏教にも生かして下さればと、切に思わずにいられないのであります。

では、今日も長くなってしまいましたが、ここまでお付き合い下さいまして、有難うございました。shineconfidentshine

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いよいよ休校にまで!@@;

今朝から、娘の熱の方も、やっと平熱までに下がり出さし、咳の方も昨夜より、「あれ?ちょっとマシになってきた?」って思っていたら、今度は今朝から、小学校からや、中学校の方から、インフルエンザの連絡メールがジャンジャン鳴りだし、とうとう、小学校の方は、明日から10日まで休校となってしまうようで、中学の方も、学年閉鎖やら学級閉鎖やらで、かなりインフルエンザの方も蔓延してきているようです。

本当に、季節性では無いだけに、厄介なウイルスであり、どこまで、いつまで、このような状態が続くのでしょうか・・・。think

近所の娘と同じ年の子達もチラホラ発症したりしているようなのですが、ある方のお話しによれば、症状の方は、一旦熱が高く上がりだしたと思ったら、もう直ぐに下がりだしたようで、他の症状も軽く済んだと言っておられ、なんだか、ニュースを見ていたら、死亡者まで発生しているようですが、人によって症状の方も色々のようで、やっぱり必要以上に恐れすぎてもいけないような気も致します。think

それでもって、前回の記事では、「太陽の偉大な霊力」を感じ、投稿させて頂きましたが、今回は、このようなお話しの話ついでに、こんなお話しのオマケの方も付け足させて頂きたいと思います。

このような、インフルエンザのような伝染病を直視していると、何やら科学的なことと、非科学的な異次元的な世界が、表裏一体となって動きだしているような気がしてならなくなってきたのです。think (私らしい?(*´v゚*)ゞ)

これまでにも、そのような事には、大いに関心が高い私でしたが、目には見えない世界でも、何かが、また違った形として動いているかも知れないと思うと、何やら、非常に興味深く、そして、面白みと言えば少し不謹慎になるのかも知れませんが、そのような興味深い目でも観てしまうことがあります。

それでは、まず、「疫病神」について調べてみました。と言いますか・・、私は、ネットの波に乗っていると、いつも勝手に辿り着くサイトが沢山あるのですが、最近では、本当に驚く程に疫病に関係深いような資料に辿り着くことが多く、今日は、その中から、2点抜擢させて頂きたいと思います。

疫病神

牛頭天王(ごずてんのう)

牛頭天王は、神仏習合の際には、素盞嗚尊(すさのうのみこと)と習合されていたようでありまして、素盞嗚尊がお祀りされてあります神社には、これまで幾つか参拝に行かせて頂いたことがあるのですが、どの神社もとても素晴らしく。乱暴で、荒々しいような性質の伝説も多い神なのでありますが、私は、良く知れば知るほどに、最近では、とても好感を持つことができ、好きな神の一人になっていると思います。

威厳があり、大胆で、やんちゃ、そして、勇敢で男らしく、尚かつ、優しい。そして、もの凄いエネルギーやパワーを放つ神のような気がするのです。confident

これは、勝手な私の想像や印象に過ぎませんが、あちらこちらの神社に参拝に行った時に感じ取った感覚や、文献を読んだ時の印象が混ざり合った上での、私の、素盞嗚尊に対する感想やイメージでございます。(*^-^)

素晴らしく、そして、素敵な神だと思っています。shineconfidentshine

お参りに行くと、なんだか、ス~ッと肩こりも無くなったりして、身体も軽くなるかもですよ。wink

皆さんも、是非、素盞嗚尊が御祭神である神社へ、御参拝に行ってみて下さいね。note

では、今日は、この辺で!happy01 お越し下さいまして、有難うございました。clover

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太陽の偉大なる霊力!!

娘は、まだ、風邪引きがスッキリせず、微熱の方も上がったり下がったりなのですが、昨日、ベランダで洗濯物を干していると、とっても、ポカポカ暖かく、「そう言えば、太陽光線って、殺菌作用が有ったよな~。。。」って思った瞬間直ぐに、今度は心の中にこんな思いが出て来たのです。「科学的や、この三次元的に見れば、確かに「太陽光線→殺菌作用」となるけれど、太陽ってやっぱり霊的なものであり、きっと、その効力もあるはずだ・・・。」と。。。think

科学的&三次元的と一体になって、異次元&霊的作用も考えられるはず!まさに、このことも、表裏一体と言えるのでは無いだろうか!

先日、伊勢神宮と神々の美術展に行って参りまして、それからというもの、子供が風邪を引いてしまいましたので、呑気になかなか、そのご紹介の方も落ち着いて書かせて頂くということも出来ずにいるのですが、そんな中、最近インターネットで調べ物をしていると、驚くほどに、疫病祈願と関係があるような神社仏閣で出て来たり、また、疫病と関係が深い仏像などなども出て来たりもしまして、「こんなにも何故出てくるの?」って、不思議なぐらいに沢山、読んでいると疫病の事が書かれていることが多いのですが、なかなか、そのようなことも、今は時間を掛けてご紹介することも出来ずにいるのですが、今日は、こんな風な投稿だけでも、とりあえず、させて頂こうと思ったのです。think

奈良時代に、聖武天皇が東大寺建立の際に、伊勢神宮に祈願された時、太陽神であります天照大神は大日如来でもあり、そして、その本来のお姿は毘盧遮那仏。即ち、神様と仏様は表裏一体であるというお告げを受けられ、これを、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)というらしく、私は、先日、伊勢神宮と神々の美術展に行ったとき、このことが非常に大きな学びとなり、他には何も書き留めて帰るというようなことはしなかったのですが、この本地垂迹説だけは書き留めて帰ったのです。

今、奈良時代に起こった動乱の世と同じような世に成りつつある中で、私達は、また、今まさに、己の心を引き締め、行いを慎み、凛とした正しい生き方の元に生きていくことを、天に要求されているのでは無いか。と、今日は、洗濯物を干している時の状況から、このような記事を書くことまでに至っています。

この新型ウイルス蔓延の時が、今の世にとって、ピンチの時であるのならば、私達人類一人ひとりの心の中に、今こそ、改めて神仏への信仰心を保ち続けることの重要さ、重大さに、今、誰もが気付くべき時なのではないでしょうか。。。と、そのように私は思うのです。

喩え、ウイルステロであろうと無かろうと!闇の組織が有ろうと無かろうと!そんなことは、どうでも良くって知ったことじゃない!!肝心なのは、目の前に起こっている事実をバシッと受け止め、そんな中で、どのように感じ、思い、考え、実行してより良く生きていけるか!!バネとして活用できるか!!ピンチをチャンスに!!マイナスをプラスに変えることが出来るか!!気づきを得ることが出来るか!!だと思うのです。

私は、これからも、太陽の偉大な霊力を信頼し、そして、他の神仏の多大なるパワーをも崇拝し、生きていこう!!そして、出来るだけ、家の中に、陽の光を取り入れるようにして暮らしていこう!!と思いました。

天照大神=大日如来=毘盧遮那仏。そして、本地垂迹説!!素晴らしいです。shineconfidentshine

尚、本地垂迹説については、こちらをどうぞ↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9C%B0%E5%9E%82%E8%BF%B9

今日も、お越し下さいまして有難うございました。shine

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気合い!!

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いよいよ、奈良でも猛威を奮いだしてきました新型インフルエンザ!!flair

娘の学年も、明日より一週間、学年閉鎖です。そして、他の学年も、学級閉鎖がチラホラと出ております。

そして、私は、このように、「許さん!!impactと、魔よけや疫よけのつもりで、今日は、書いております。think

最近では、神仏への信仰心がどれ程大切なものか、心にズシ~ッと感じ入るようなことが多く、色々と学ばせて頂く機会も多くなりました。

キリストも、日本の神々も、そして、仏様も・・・、全ては一体となって、私達人類に大きな愛の眼差しを向けて下さっているのだ。と、キリストと他の神仏を平等に崇拝するような思いを、昨年私は、心に深く得ることが出来ましたが、先日、伊勢神宮と神々の美術展に行きまして、今度は、日本の神々と仏様が私の心の中で一体となり、キリスト教も、仏教も、神道も、全ては一つであり、表裏一体となっているのだと確信して帰ることが出来ました。

全ては、計り知れない程の、大きな愛の元に一体となっているのだと・・・。confident

そして、ますます、ますます、そのような学びの多くを得た時や瞬間には、自身のちっぽけさや未熟さをも目の当たりにすることが出来ます。confident

そのような時って、きっと、とても有難~い、感謝するべき時なのでしょうね。

せめて、今日は、このように、これまで、私が撮って参りました写真により、神仏の世界のお力をお借りしまして、疫病退散!!疫病滅亡!!の祈願を込めて。ここに投稿させて頂くことに致しました。(*゚ー゚*)

生憎、と言いますか、ラッキーにも娘はインフルエンザでは無いのですが、昨日は、もう、熱の方も36℃代だったので、「明日から登校する!」と言って、「行く!」「アカン!」「行く!」「アカン!」の言い合いになり、長時間だだをこね、私の方も、「まっ!いいかぁ!」と、OKサインを出してしまいまして、宿題をしたり、シャワーをしたりしている内に、また熱をぶり返してしまいまして、今、まだ37℃代の熱があるんですぅ。。。despair 朝から病院にも行って来ましたぁ・・・。sad

喉の赤みが取れたら、熱も完全に下がるかな?って思っているのですが、まったく、内の子はインフルエンザでは無いものの、小学校の方では、ことごとく行事の方も相次いで中止となり、その中には、子供達が毎年楽しみにしている「秋のつどい」と言う、バザーや出店があるような催し物も中止となったり、もう、ほんと、季節性では無いだけに、どこまで、いつまでこの新型ウイルスに振り回されることになるのか?eye

しまいには、怒りまで感じてきました私は、今日は、このような、仁王像や狛犬像のお力をお借り致しまして、恐ろしいお顔にも、ご登場頂くことに致しました。(*´v゚*)ゞ

「負けてなるものか~~~!! 出陣じゃ~~~!!punchimpactannoy

皆さんも、どうか、気合いを入れて乗り切って下さいませ。shine(*゚ー゚*)shine

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今後の彷徨える霊を減らし、無くすお役目の一人?

唐突ですが、私は、神仏や死後の世界というものを信じています。

そして、このブログにも、自分が興味があり、追求心旺盛であり、追求することが生き甲斐でもありますので、神仏や神社仏閣やスピリチュアル的なことや、アセンションに関しても、「書きたい!&楽しい!shine」というような思いで、これまでも書いて参りましたが、昨日、電車の中やホーム等で、実は、読みたいけれどなかなか読む時間が取れずに、これまで読むことが出来なかった本を、少し読み始めることが出来まして・・、そして、今日、また朝から少しネットで調べ物などをしていると、少し、思うことが出来てきたのです。。。think

その本の中の文章と、私が、調べ物をしていて辿り着くサイトの数々とが、またまた、いつものように、頭や心の中で、繋がり初めてきたのです。

まず、その文章の内容はと言いますと、第一次世界大戦が始まる60年ぐらい前に、やがて二つの対戦が始まり、大量の死者が出ることを知っていた霊的世界の存在たちが、もしも、このまま人類を放っておいたら、死んだ後にどこに行ったら良いか迷ってしまって、戻るべき魂の世界へ帰還できない魂が続出する。と危惧し始め、そうなると、全ての霊を救うことは、非常に難しくなると思い、そこで、高位の霊の存在が計画したのが、第一次スピリチュアルリズムという、地上に暮らす人々の霊的世界を高める運動だったそうです。

そして、その後、これまで普通に暮らし初めていた人の中にも、さまざまな霊的現象が起こり始めたり、(ラップ音等もそうです。)また、霊媒を通して、霊との通信も盛んに行われるようになったりもしたそうです。

私は、これを読んだ昨日は、こんなこと考えもしなかったことなのですが、私が、このブログを始めるようになって、何気なく、自分の興味の対象であるが故に書いていて楽しかったり、、また、これを読んだ人の中に、何か、思うことが出来て、勇気が湧いてくるようなことがあれば有難いし素晴らしいことだ!と、いうような感情の元にも、書き綴って来たのですが、この本の、このような文章を読まさせて頂くと、本日、妙に、頭や心の中で、この私も含め、他の方達もそうですが、スピリチュアル的なことを書き記していかれている方のサイトって、実は、とても、重要な役割をされていたのでは無いだろうか・・・。って思ったのです。

モチロン、私のブログなどは、微力も微力過ぎるぐらいの、微々たる影響力ぐらいしか無いかも知れませんが、もしも、何かを思い、感じたり、調べたりという風に、何かこのブログを読んで頂いたことで、導かれる切っ掛けとなるということも考えられる訳ですよね。

これまで、こんな風に、彷徨える霊を減らし、無くす。ということに貢献しているというようなことは、考えたことも有りませんでしたが、今、この記事を書く前に、ふと、思ったもので、ここに、このように直ぐに書かせて頂いているのです。

ですので、これまでも、一応は、何か気づきを得たり、導かれることの切っ掛けになれば嬉しいし、有難いと思い、書き綴っていた面もありましたが、このような私が、果たして、偉そうに神仏のことを、書かせて頂いても良いものなのだろうか・・・。と、疑問に思い躊躇するようなこともありましたし、現在もまた、そのような思いを全く持っていなくは無いのですが、一つの微々たる役割として考えた時、彷徨える霊を減らし、無くす。という意味でも、ここに、微力ではありますが、一人のお役目として加わることが出来るのでは無いか?と思い、なんだか、今日は、少し、自信も湧いてきました。shine

そして、早速ですが、今日も、そのお役目の一員として、少しでも、神仏を感じ、神秘の世界に興味を抱いて頂く為にも、このようなサイトの数々を載せさせて頂きたいと思います。↓

神秘の世界へ、ようこそ!!★゜・。。・゜☆゜・。。・゜☆・゜♪

岩石写真集「磐座・巨石」、磐座、磐境、石神、巨石

磐座

龍穴

レイライン

死後の世界も、そして、神仏も霊も、何の霊能力も無い、普通の人達には、実際分からないし、自覚することも出来づらいと思います。

ですが、年を重ねる内に、数々の経験を元に、自分だけの力で試練の数々を乗り越え生きているのでは無く、やはり、見えない力のお力添えやお導きがあるからこそ、ここまで生き抜くことが出来てこれたのだと、つくづく感じることが出来るのです。

そう感じ始めた瞬間から、実際として、神仏や霊の存在を確信し、自覚することが出来た瞬間でもあると思うのです。

そこに、「嘆くよりも、感謝して生きよう!!shine」の精神が湧いてくるのでは無いでしょうか。

起こった試練は己の為!生を受けての勉強の為!ですが、その試練を乗り越えることが出来たのは、自分だけの力だけでは無いはずです!!

勿論、自分の頑張りや力無くしては、試練というものは乗り越えることなど出来はしません。

その頑張りは、周りの人からも、大いに評価されるべきことでしょう。

ですが、その山を乗り越えるべき時には、周りの大きな力が動いていると思うのです、実際、自分に力の数々をお貸し下さった方々がいるとしても、その方々をお与え、導いてくださったのは、周りの見えないご尽力だった可能性も大いにあると思うのです!

人は、有る意味では、そのようなことに気付く為にも、病気や、倒産、リストラ、離婚、死別などなど、様々な苦難とも巡り会うようになっているのでは無いかとも思います。

今日も、長々となってはしまいましたが、今日は、もしかすると、今後の彷徨える霊を無くす、減らす。と言う意味でも役割を果たしているのかも知れないと思いましたし、他にも、まだ気付かれていないだけで、同じ様な役割の元に、普段から、あらゆるサイトに携わっていらっしゃる方もおられるのでは無いか。と思いましたので、まだ、お気づきでは無い方にも、「ほんとだ!(゚0゚) ごもっとも!think」と、思ってもらえると有難く、嬉しいなあ。って思います。confident

では、最後までお付き合い下さいまして、有難うございました。shineconfidentshine

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室生寺の写真 PART Ⅲです。(^^)/

それでは!happy01 本日で室生寺のお写真の方は、これで最終とさせて頂こうと思っておりま~す。note

では、早速ですが、これより、室生寺の写真アップPARTⅢ!の、始まり始まりでごじゃりまする~ぅ!o(*^▽^*)obellshinebellshinebellshine

またまた、続々とご紹介させて頂きたいと思いますので、皆様、しかと!ご覧下さいませね~。shineヽ(´▽`)/shine

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以上で、女人高野・室生寺のお写真も、今回で終了!shineとさせて頂きますね!(*゚▽゚)ノ

PART Ⅰ、PART Ⅱ、PART Ⅲ、と、皆様、お楽しみ頂けましたでしょうか?

自然、神仏、そして、歴史深さが一体となって、まさに、聖なる地そのものの雰囲気が溢れんばかりに漂っていて、私は、今回、この室生寺の建造物並びに仏像は元より、その境内の巨木の数々にも、非常に驚き、感動致しました。shine

私達が、輪廻転生をくり返しているであろう間にも、一本一本の巨木は、ず~っと、同じ地に生き続けていたんですよね~。confident

まさに!凄い生命力であると共に、精霊というものや神というものを一本の木から感じずにはいられないような・・・。そんな気が致しました。confident

一言で言うなら、shine偉大shineという言葉がピッタリのような木が、た~くさん、たくさ~ん、あったんです。。。shineconfidentshine

良いお参りが出来ました。confident ここに改めて、感謝させて頂きたいと思います。「合掌!!shinethink ありがとうございました。shineheartheartheartshine confident

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室生寺の写真 PART Ⅱです。(^^)/

では、前ページの続きとさせて頂きまして、今回も、奈良県内の「女人高野・室生寺」のお写真の方をアップさせて頂きたいと思います。

そして、その前に、今回は、ちょっとお先に、室生の太陽信仰について書かれている文章をホームページの方で見つけて参りましたので、そちらの方を、少し転載させて頂くことに致します。

では、以下、ご覧下さいませ。down

cute室生の太陽信仰cute

大和の日の出の山として古くから信仰されている三輪山の麓に、桧原神社という古社があります。ここは古墳時代の初頭、初めて太陽の神、天照大神を祀った所とされていますが、室生山はこの社の真東にあり、さらにその真東に伊勢内宮の元の社地とされる伊勢の斎宮跡があります。この東西線には、太陽祭祀にまつわる遺跡が点在していますので『太陽の道』と称していますが、室生山がこの線上にあるのは、この山が古代の太陽祭祀まつわるものであることを物語っています。

 室生寺の古い記録には、室生山には大日如来の宝珠があって、これが垂迹して天照大神になったとありますが、そうした伝承は、おそらくここが太陽祭祀の聖地であったからでしょう。そして室生寺は、この山の麓に造営されました。その一方、水神を祀る龍穴神社は、ここから約一キロ離れた谷の入り口にあって、山麓の寺と谷を祀る神社は陰陽の一対の関係になっています。

 このほか室生寺には、金堂本尊の背後にインドの太陽神である帝釈天の曼荼羅を描いた大きな国宝の板絵。寺宝には太陽神の天照大神をあらわす重文の大きな鏡、大神宮御正体などがあって、太陽信仰とこの寺の関係を暗に示しています。

Photo_2 大日如来の宝珠を描いた奥の院曼荼羅

そして、ここでも、私の父がメールで送って来てくれました二上山山頂の北緯34度32分の説明図の方を、もう一度アップさせて頂こうと思います。(クリックで拡大OKです。)

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まさか、この北緯34度32分のラインが、『太陽の道』だったとは~!!w(゚o゚)w

今回、室生寺へと御参拝に行き、帰ってきてからホームページで室生寺を調べてみて、始めて分かりました……(ノ゚ο゚)ノミ(ノ _ _)ノ

始めてこの説明図を見た時から、何か、とても神秘的で不思議な気持ちがしたのですが、今回このように解明へと繋がっていくことになろうとは・・・。w(゚o゚)w

ほんと、最近では、色々なことが、次から次へと繋がっていくようなことになっていまして・・・。think

もう、私の暮らしや人生そのものが、神秘的となってきております・・・。think r(^ω^*)))

ということでhappy01、太陽信仰のお話しの方は、ここまでとさせて頂きまして、また、本日も、続々と室生寺の写真の続きをアップさせて頂きたいと思います!ヽ(´▽`)/

では、以下、写真の方をご覧下さいませ。shine

まずは、五重塔(平安時代初期・国宝)でございます。

この五重塔は、総高16・1メートルと、屋外に建つ五重塔では最小のものだそうです。

平成十年に、台風により大きな損害を蒙りましたが、平成十二年に修復、落慶しました。

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こちらの、↓ 右の建造物は、奥の院 御影堂(鎌倉時代・重要文化財)でございまして、方三間の単層宝形造、厚板段葺で頂上に石造りの露盤が置かれているのがめずらしく、他に例を見ない建物であるようです。

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こちらも↓同じく、 奥の院 御影堂でございます。

中には、弘法大師四十二歳の像が安置されているようです。

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以上で、今回の、室生寺の写真アップPARTⅡは、お終いとさせて頂きます。

尚、また後日、PARTⅢで、室生寺の写真のアップは、終了とさせて頂きますが、その後も、まだまだ、龍穴神社や室生山上公園芸術の森の写真のご紹介の方は続きますので、また、是非、「聖なる地、室生の旅」を一緒にお楽しみ下さいね。noteshine

では!本日も、お越し下さいまして有難うございました!o(*^▽^*)o

 

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室生寺の写真 PART Ⅰです。(^^)/

では、本日は、先日の連休中に行って参りました、奈良県内にあります「女人高野・室生寺」の写真を、続々とアップしていきたいと思いま~す。happy01

まずは、その前に、室生寺のご案内板リンクの方を張らせて頂きたいと思いますので、ご興味がお有りの方は、ごゆっくりとご覧頂けたらと思います。(*^-^)

http://www.murouji.or.jp/

歴史深い物とは、こんなに素晴らしい物なのですよね~。shineshineshine confident

「時は金なり・・。」とも申しますが、長い時の流れを経た物の価値観というものを、私は、このお寺に行って、つくづく、つくづく、ヒシヒシ、ヒシヒシと感じて参りました。confident

そして、そのような物を守り続けていくことの重大さや難しさということを考えると、長きに渡り、そのような貴重な物の数々を守り抜くことに、ご尽力下さっている方々に対しても、深く感謝の念をここに表したと思います。confident

「いつも、貴重な物の数々を守り抜いて下さいまして、心より御礼申し上げます。confident

歴史深い建造物や仏像、そして大木などなど・・・。それは、人の生命と同じぐらいに貴重であり、大切な物であるような気がしてなりません。confident

日本の歴史!日本の遺産!本当に、素晴らしいですね~!o(*^▽^*)o

室生寺は、歴史深さと趣を感じることが出来る、本当に素晴らしいお寺でした~。shineshineshine

これは、↓ 室生寺の受付で頂いた栞の中に書かれてある「室生寺略縁起」なのですが、以下にそれを転載させて頂きまして、室生寺って?と、思われている方には、少し、どのような所なのか、ご想像を働かせて頂ければ、幸いにございます。

cute「室生寺略縁起」cute

奥深い山と渓谷に囲まれた室生の地は、太古の火山活動によって形成された室生火山帯の中心部で、こうした幽邃な場所は古くから神々の坐ます聖地と仰がれていた。

やがて奈良時代の末期、この聖なる地で皇太子山部親王(後の桓武天皇)のご病気平癒の祈願が興福寺の高僧賢憬など五人の高徳な僧によって行われ、これに卓効があったことから、勅命により国家のために創建されたのが室生寺である。

だが建立の実務に当たったのは、賢憬の高弟修円であった。修円は最澄や空海と並んで当時の仏教界を指導する高名な学僧であった。

以来室生寺は、山林修行の道場として、また法相・真言・天台など、各宗兼学の寺院として独特の仏教文化を形成するとともに、平安前期を中心とした数多くの優れた仏教美術を継承する一方、静冽な渓流は竜神の信仰を生み、雨乞いの祈願も度々行われて来た。

そのほか厳しく女人を禁制してきた高野山に対し、女人の済度をもはかる真言道場として女性の参詣を許したことから『女人高野』と親しまれている。

以上です。(*^-^)

では、これより、その写真の方を、続々とアップさせて頂くことに致しますね!(*゚▽゚)ノ

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こちらは、↓弥勒堂(鎌倉時代・重要文化財)でございます。奥にうっす~らと見えますのは、釈迦如来坐像(国宝)でございます。

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こちらの方は、↓ 金堂(平安初期・国宝)と金堂内陣でございます。正面側面共に、五間の単層寄棟造りコケラ葺きでございます。

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こちらのお写真は↓、軍荼利明王石仏のお写真でございます。

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そして、このページ最後のお写真はと言いますと、↓ 灌頂堂(本堂・鎌倉時代・国宝)でございます。

ここは、真言密教の最も大切な法儀である灌頂を行う堂で、真言寺院の中心であるところから本堂とも呼ばれ、延慶元年(1308)の建立でございます。

2009_022

今回の写真のアップは、ここまでとさせて頂きます。

室生寺だけでも、載せたい写真の数が、かなりの量でありますので、まだ、後、二度ほどに分けてアップさせて頂くことに致しました。

そして、その後、まだまだ、龍穴神社や室生山上公園芸術の森と言う風に、続々とご紹介させて頂きたく思っております。(o^-^o)

では、また後日、室生寺の続きのお写真を、乞うご期待下さいませ!(*゚▽゚)ノ

本日も、お越し下さいまして、有難うございました!o(*^▽^*)o

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書きたいこと溜まる一方なので、またもや、強行突破!です。(^^)

thinkほんと、専業主婦とは言っても、ずっと、パソコン前に座っている訳にもいかないというのに、次から次へと書きたいことが溜まってきまして、その中の一つでありました「大神神社」の記事は、先日、キトラ古墳の記事の後に、達成することが出来まして、後は、またボチボチ投稿していこう。。。confidentと、ホッとしていたのですが・・・。confident

そしたら、昨日、ちょっと、気になって、もう大分前に買って置いて有ったアセンションに関する本を読んでいましたら、また、中丸薫さんのアセンションに関する本の転載の時や、新堂慶一さんの「宇宙の法則」の本の転載の時のように、この本を読んでいる内に、心が、ウキウキheart02ワクワクheart02感動heart01状態になってきまして、「これって、もしかして、また、皆さんに内容を伝えなさい。っていうこと?」って思いだしてしまい・・・。(^-^;

実は、この本は、これまでには出会わなかった、そして、私の知りたかった、「どのように、三次元から、異次元にアセンションするというのか?」というような疑問点などが、細かく載っていたりもする本だったのです。。。think

「5次元入門 アセンション&アースチェンジ」という本なのですが、とりあえず、まだ、半分しか読めていないので、後半分完全に読めたなら、転載や箇所的な転載など、するべきかどうかも、私なりに判断させて頂きたいとも思っております。confident

私は、チャネラーでも、なんでも有りませんので、いつも、直感や、心が受け付けるか?受け付けないか?などで判断したりですとか、今回のように、心が、ウキウキheart01ワクワクheart01状態になるようなことがあれば、何かの合図ではないのか?とも思え、そういう心の動きを重視して、最近では、本やブログを読む、読まないも、判断するようになっているのです。(*^-^)

そして、このココログの投稿をお休みして、ヤプログの方に移動していたときは、アセンション関係やスピリチュアル関係の本やブログは、その「受け付けない状態、真っ最中でした。(^-^; それも、かなり酷い、受け付けない状態が発生していたのです。(^-^; 「拒否~~~sign01という感じで・・・。」coldsweats01

何を一人、また先程から、訳の分からぬことを、ゴチャゴチャkissmark、ゴチャゴチャkissmark、言ってるの???って思うかも知れませんが、初めから、そういう奴だと思っておいて下されば、私のことを、この先、より理解しやすくなるとも思えます。confident ハイ・・・。confident どういう奴か理解し難いかも???( ̄Д ̄;;

と言うことで!投稿したいことが、次から、次から、溜まってきますので・・・coldsweats01、本日は、長文となりますが、先日、皆様にとって、今後、人間関係についての良きヒントになるかもしれないと思い、新聞記事を切り抜いて取って置いた物がございましたので、そのニュースの方をネットで探しましたら、今回、見つかりましたので、この後から、ここに、転載させて頂きたく存知まして、皆さま方にも、何かのヒントになれば嬉しいなあ。とも思います。

それでは、今回も長文となりますが、強行突破!のように転載させて頂きますね。(o^-^o)

ついてくることが出来るかな~?( ̄ー ̄)ニヤリ ←疑いの眼差し、キラリ・・・。shine

それでは、以下、転載です。happy01

真言宗と天台宗 1200年ぶり交流 天台座主 高野山を来月訪問

5月29日 8時 0分配信 産経新聞

 真言宗の総本山、高野山金剛峯寺(こんごうぶじ)(和歌山県高野町)で来月開かれる行事に、天台宗の半田孝淳(こうじゅん)座主(ざす)が参拝することが分かった。天台宗トップの高野山への公式な訪問は、日本に真言宗、天台宗が伝わった平安時代以来初めて。1200年間を通じて初めてとなる歴史的な参拝をそれぞれの事務方では、「相互理解のためになる」と歓迎している。

  両宗派のトップ交流をめぐっては、天台宗を伝えた最澄と、真言宗を伝えた空海の交流をめぐる逸話が有名。
2人はともに中国(唐)で仏教を学んだ留学仲間で、帰国後も交流を続けていた。しかし、晩年には教えや修行をめぐる考えの違いから確執が生まれ、絶縁状態になった経緯がある
経典を借りようと弟子を派遣した最澄に対して、空海が激しい内容の手紙で貸し出しを拒否し、交流が途絶えたと伝わっている。

 天台宗務庁によると、天台座主の高野山参拝は、過去に私的にはあったようだが、式訪問は約1200年間、一貫して確認されていない。歴代の天台座主の公式動向を記録した「天台座主記」にも記載がないという。

 高野山真言宗の宗務所の話でも、最澄と空海が絶縁する前に弟子が行き来した記録はあるものの、天台座主の訪問の記録はないという。
逆に高野山真言宗の座主の比叡山訪問は、平成17年の比叡山開宗1200年行事の際にあったが、その時は他の仏教教団トップらと一緒だった。
高野山真言宗座主の比叡山訪問には、天台宗が仏教やキリスト教、イスラム教など世界の宗教指導者らが一堂に会する「宗教サミット」にも力を入れていることが背景にあったが、逆に天台座主が高野山を公式に訪れたことはなかった。

 今回の訪問は、天台宗の半田座主と、高野山真言宗の松長有慶(ゆうけい)座主の交流がきっかけとなった。宗教協力の催しなどで席を共にする機会が何度かある中で親しくなり、半田座主側が訪問を打診。松長座主側が、「せっかく来ていただくなら、高野山の最大行事に」と「宗祖降誕会」に招待したという。毎年6月15日に開かれる宗祖降誕会は、空海の誕生を祝う高野山の最大行事。

 天台宗では「過去はともかく、現代ではまったく確執はない。交流を深めさせていただくのはいいこと」。真言宗も「宗祖に関連する行事に参拝していただきありがたい。今後のさらなる交流につなげていきたい」と話している。

                   ◇

 宗教学者の山折哲雄さんの話 旧仏教を代表する双璧(そうへき)が公式訪問し、理解を深めることは画期的だ。
最近、近畿地方の有名神社と寺院の神職と僧侶がともに伊勢神宮に参拝するなど、宗教間に共存の伝統が復活したことと同様、戦後の心の荒廃や教育の衰退が問題になる中、精神的基盤が見直されるようになるだろう。

                   ◇

【用語解説】真言宗

 空海(弘法大師、774~835)が弘仁7(816)年に開いた。高野山真言宗としての総本山は高野山金剛峯寺(和歌山県高野町)で世界文化遺産。現在の松長有慶座主は412代目。

                   ◇

【用語解説】天台宗

 最澄(伝教大師、767?~822が延暦25(806)年に開いた。総本山は比叡山延暦寺(大津市)で世界文化遺産。1571年には織田信長に焼き討ちに遭っている。半田孝淳座主は256代目。
以上です。happy01
これを読んだ私は、非常に驚きでした。あのように歴史上、人格者だとも思える二人が、このように、長年に渡り絶縁状態だったなんて~。\(;゚∇゚)/
意外も、意外で、そんなことって有るの~sign02って、本当に驚きと共に学びにもなりました。
人間関係のイザコザというものは、本当に、煩わしく、いつの時代になっても、気分を憂鬱にさせられたりもすることでしょう。
ですが、このように、歴史的に素晴らしく優れていて、人格者だと思えるような人達でさえ、このように、「これって、人として、どうなの?」って思えるような、ことをしていたとなると、これは、まさに人間らしく、人間臭く、そして、凡人である私達が、人間関係に四苦八苦していたとしても、人として劣っているとも一概に思い難い。というような面さえも出てきたりもするのではないでしょうか。
そして、人というものは、どのような偉人であろうと、完璧などはあり得なく、どこかに欠点や落ち度もあり、それが、人間であり、当たり前のような気もしますし、また、勉強にもなりました。
が、しかし・・・、逆に、歴史上、名を残す程の者では、けっして無く、只の凡人と思えるような私達ではありますが、このような、空海や最澄ほどの優れた者よりも、さらに優れた点をもっていたとしても、けっして、不思議では無い。ということにもなります。
例えば、この人間関係の確執などについてもそうなのですが、空海と最澄は、このように、考え方の違いから絶縁状態になっておられましたが、私自身も、ふと、この事からも気付がつけばそうなのですが、人との争いごとは、敢えては好まず、喩え、考え方は違ったとしても、「私は私」、「あなたは、あなた」。と言うように、それぞれに違った考え方を持ちながらも、「それで良いのでは?」って認め合い、仲良くしていくのも有りなのでは?って思った時点から、もしかすると、有る意味、この両者よりも優っている点を持つことが出来ているのではないか?とも思えるのですよね~。
そして、それは何もこの私だけでは無く、そのような、人間同士の調和を好む人達は、沢山、沢山いらっしゃるのではないか。と思えます。
そして、きっと、あの仏陀や聖徳太子でさえも、これまで色々なことを調べていく内に、相当、人間関係のゴタゴタには、手こずっていたのではないか?とも、ワタクシ的にも思われます。
きっと、聖徳太子などは、周りの人達の人間関係の程度の低さに、あきれ果て、頭を痛めた末に、あの十七条憲法も編み出したのでは無いか?とも思えるのですが。。。
「こんなに人間関係に苦しめられ、私は、劣った人間なのではないか?」と、凹んでおられる方がいらっしゃるなら、どうか、ご安心下さい。
そのことについては、過去の歴史上の偉人達でさえも、相当、苦しめられた痕跡が伺えますよ。(*^-^)
けっして、あなただけが劣っている人間なのではありません。これは、人間界に生まれたからには、きっと、宿命なのでしょう。。。think
では!長くなりましたが、今回は、ここまでの語りとさせて頂きます!有難う、ございました。shineconfidentshine

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日本の神々について、心の中で、まとまり出してきました。

さてさて、まだまだ神道追求の旅が、楽しくて楽しくてワクワクしながら、日本の神々について学んでいる最中なのでありますが、何だか、今、私の中でまた、キリスト・仏・日本の神々が、具現的に一体となって、一つの宗教にまとまろうとしているところのようで、まだまだ、意識を神々から離せないでいるところなのですが、あともう少しすれば、そのような気持ちも落ち着きだすような感じで先が見えだしてきておりまして、一段落しましたら、また、平行して色々なことを学んでいこうかなぁ。confidentと思っております。

そこで!今回も、また、神道入門書の中より、僧侶と神職の役割が曖昧になる中でひとつになっていった神と仏(神仏習合)》についてを転載させて頂きたいと思います。

以下転載。

cute六世紀の仏教公伝以来、仏教と神道はお互いに影響を与えつつ発展していくが、平安時代になると神社が僧侶を雇い、彼らが持つ外来の進んだ知識を用いて民衆を導くようになった。

さらに、仏教が戦勝など現世利益的な祈願を行い、人々に浸透していくにつれ、仏と神は同等に信仰され、その垣根は曖昧になった。

それがやがて神仏習合となって表れる。その一例が神社の中に寺を建てる「神宮寺」である。これは神が前世の行いのため苦悩し、仏によって救われたいと願っているという考えに発するものである。その神仏習合を発展させたのが、天台宗、真言宗などの密教の僧達だった。

僧侶たちは、神仏習合の中で、仏教の中に日本古来の神道をどう位置付けるべきか、考え始めた。

その結果十世紀に生み出されたのが仏は神の姿となって生まれ変わる「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」だった。その思想の根本は法華経にある、絶対的な存在の仏陀とそれを具現化した釈迦という位置付けである。

これを取り入れ、たとえば、アマテラスは大日如来の生まれ変わった姿であるというように、絶対的な仏と、その生まれ変わりであり、具現化したのが神と捉えたのだ。

ここに至り、仏と神は一つの体系にまとめられ、神は仏に従属すべき位置に置かれてしまった。その位置関係は変遷しながらも、神と仏の融合は明治の神仏分離令まで続くことになる。cute

以上なのですが、この文章を読んで、実は夫の若かりし頃のサラリーマン時代の先輩で、現在、ある地方で「神宮寺」の住職をされておられます、人間的にも非常に立派な方がいらっしゃるのですが、「神宮寺」とは、何か良く耳にするお寺の名前でもありますが、そのような謂われと歴史があったのか~。と、私自身、とても勉強になったのです。

あと、私の中で神仏が一体となりだすことの切っ掛けとなった文章が二カ所ほどありますので、以下、その文章をピックアップして載せさせて頂きたいと思います。

●その一例が神社の中に寺を建てる「神宮寺」である。これは神が前世の行いのため苦悩し、仏によって救われたいと願っているという考えに発するものである。

●アマテラスは大日如来の生まれ変わった姿であるというように、絶対的な仏と、その生まれ変わりであり、具現化したのが神と捉えたのだ。

この二点に、とても心が留まった私は、その後もまた色々と調べたりもしたのですが、歴史を遡れば、どうも、如来が神となって国を統一するというような文章に出くわすこともあったりですとか、ますます、私の心の中で、神・仏の一体化が具現化されていくような感じになってきているのです。

私は、何事においても、「ハイ。ごもっとも、ごもっとも。paper」と、すんなり従うというような人間でもなく、けっこう、頑固オヤジ的な人間でもありまして、納得のいくまで調べてから、「ごもっとも、ごもっとも。」って言う風に認めなければ、気が済まないようなところもあるのですが。

「宗教は、人を救い、生かし、正しい道に導く為にあるもの。であるならば、それは、常に一体となって人々を導かなければならない。であるからして、宗教同士がいがみ合い、争い合うなどとは、もってのほか!!言語道断!!である。もし、そうなるのであれば、それは明らかに、真の宗教とは言い難く、真の神仏では無い、偽物です。宗教の根本的な意味を考えても、それは明らかにハッキリ!と判ることなではないか。」

と言うのが、私流の考え方であり、今、私は、この偽物か?はたまた、本物か?を探求している最中でもあるのです。

そして、少しずつ、少しずつ、ハッキリとした形になっていき出しているのであります。

日本の神々についても、古事記の中で、色々なことが書かれているようでございますが、喩え人格神であり、人間の感情と同じように、怒りもし、悲しみもする存在であったとしても、その根底に愛や情けの感情がないのであるのならば、私の中では、その存在は神と認める訳にはいかず、崇拝する訳にもいかない。という結論めいた考えも湧きだしたりしてきたのでございます。think

神も仏も、人間の心を遙かに超えた、大いなる慈悲、大いなる慈愛をおもちだからこそ、私達人間はすがるような気持ちで、お参りしたり、心からの感謝の気持ちを向けることができるのではないだろうか。

「神仏は決して魔物であってはならない!!」と、私は今回、日本の神々を追求し出し、凄くそのような気持ちになってきているのです。

最後に、これは、ある本の中に書かれてある文章なのですが、読んでいて、とても心に響きましたので、載せさせて頂いて本日の投稿を終わらせて頂きたいと思います。

●「たとえ預言の賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。」

●「ハチが異なる花から蜜を集めるように、賢き人は異なる聖典の枠を身につけ、すべての宗教に通じる唯一の神を見いだす。」
                〈スリマッド・バガヴァータム〉ヒンズー教の聖典

人は、一つの宗教に心をとらわれること無く、愛を根底に、自分なりの宗教を心の中に創りだしていっても良いのではないだろうかと思っています。

自分なりの心の宗教こそが、真の宗教と言えるのではないかと思い、私は、全ての宗教の良いところばかりを一体化させ、神仏に感謝をし、これからもイキイキと生きていきたいと思っております。

そして、いくら、厳しい修行を積み、深い信仰心を持っていようとも、何事においても、感謝の心も無く、愛の心が無ければ、宗教に対する知識や深い信仰心だけを持っていても、それは無に等しいのではないだろうか、全ては、己の心の有りようが一番大切なのではないだろうか。と、いつも私は、そのように思ってならないのであります。shineconfidentshine

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