宗教に対する私の想い。
今日は、2度目の投稿となっておりますが、産経ニュースの方で、とっても興味深い内容の記事を発見致しましたので、ここに抜擢させて頂きたいと思います。![]()
では、さっそく、以下に転載です。(*^-^)
【元気のでる歴史人物講座】(49) ジョセフ・メーソン神道を理解した西洋人
2009.12.09
昭和初期、日本文明の価値を世界に訴えた一西洋人がアメリカのジョセフ・メーソンである。
彼が日本に関心を寄せるきっかけは日露戦争である。日本の勝利に驚嘆したメーソンは以後三十余年、日本研究に没頭した。たどりついた結論が近代日本躍進の原動力は神道にあるということであった。彼はいう。
「日本人はその民族的潜在意識を保持すること、他の諸国民よりはるかに長かった」
メーソンはこの民族的潜在意識を表現したのが古事記、日本書紀に記される日本神話であるという。
日本人は神話の時代から今日まで人間の原始的心情を持ち続けてきた稀有(けう)の民族であった。外来の宗教、思想にのみこまれることなく仏教や儒教を融合し、民族本来の信仰、精神、生き方すなわち神道を決して失わなかった。メーソンは神道をこう理解した。
「(神道の)元の名は神(かん)ながらである。ながらは『自発的』『と同じ』『…から』を意味する。神ながらというのは『すべてあるものは神なり』を意味している」
日本人は人間のみならず他の生物、天地自然のすべての存在を神のいのちの表現として、天地自然の万物を崇拝してきた。キリスト教などの一神教のそれとは根本的に異なる日本人の生命観、自然観、世界観を是としたメーソンは「私はシントイスト(神道者)である。私は世界に比類のない神道を信奉する」と述べた。彼の遺骨は遺言により日本に眠っている。(日本政策研究センター主任研究員 岡田幹彦)
以上で転載終わりです。
今、私は、八百万の神々や神社にとっても興味があり、自身のブログにも最近では、度々そのようなお話しも出させておりますので、今日は、このニュースにとても目が惹かれました。
以前に、あるサイトで、ヒトラーも日本の神道のことを高く評価されていたというような内容の記事を読んだこともありましたが、やはり、今、私がとても興味惹かれている日本神道とは、とても素晴らしいものなのだな~。って、今日は、この記事を読ませて頂いても、つくづくそう思いました。
かと言って、他の宗教は?良くないの?駄目なの?とも思えず、私は、そもそも、神道よりも、ず~っと仏教や仏を愛する人間でもありましたし、かと思えば、イエス・キリストの生き様には、本当に胸を打たれ感動し、宗教とは、これが良い、悪い、の問題では無く、自分にとって、これが正しいと心から受け容れられるものを、心の中に宿し、その光を心の拠り所として生きていけば良い!と思っているのです。
ですから、私にとっては、神道も、仏教も、そして、キリスト教も、全ては一体であり、宗教とは、「人を生かし!救うもの!」であると普段からも思っておりますので、宗教の信者同士が、「我、信じる宗教が正しい!我こそが真の信者である!」と、いかにも、自分達が信仰している宗教が正しい!というように争うことなどは、「言語道断!」だと思っております。
それは、それこそ、宗教の意味から、そして軸から、はみ出した行為だと言えるのではないでしょうか。
宗教の為に、人と人が争うということ。。。それのどこが、人を生かし、人を救うことだと言えるのでしょうか?これは、宗教というものから、かなり矛盾し、かけ離れた行為だと言えるのではないでしょうか。
そして、そのような行為を望む神仏など、私にとっては、断固として神仏と認める訳にはいきません。そして、勿論、宗教とは、神仏を競い合わせるものでも無いはずです。
宗教とは、まず土台に愛が根底にあり、人を生かし、人を救うという光が無くてはならないと、私はいつも強くそのように思っているのであります。
ですので、全ては、その土台や根底とするものを元に考え、全ての宗教は皆、一体であって良いと思うのです。
神や仏とは、人間が想像するよりも、もっと、もっと、偉大で大きな存在であると思いますし、また、そうでなければならないものだとも思っています。
このような、混乱や闇の時代だからこそ、今こそ、宗教は一体となり、人を導き、心より救い出すものでなければならないと思うのです。
その為には、従来の枠や形、形式、意味の無いこと、そのようなことを早急に改め、改革していく必要があると思うのです。
その先頭に立つべき国民は、やはり、この応用力豊かである日本人であり、日本民族であると、私はそう思うのです。
まず、その為にも、これは、いつも思っていることなのですが、仏教の、あのお経です。
お経とは、全てに深い意味があるものだと思うのですが、何も中国から日本に伝来して来たからと言って、何故に、あのように漢字ばかりを並べた訳の分からない経文として読まなければいけないのか・・・。また、あげなければならないのか。。。
あれでは、もったいない!非常にもったいなさ過ぎる!という思いで極まりないのです。
もしも、あのお経が、私達日本人にとって、もっともっと、分かりやすい経文であるならば、私達は、普段から、もっともっと、仏教の素晴らしい教えに慣れ親しむことが出来るのではないだろうか・・・。
せっかくの尊い教えが、あのような訳の分からぬ、漢字ばかりが並ぶ経文であるに過ぎないということは、非常に残念でなりません・・・。
この応用力豊かであるが上に、戦後ここまで経済大国にのし上がってきた、日本人らしからぬ行いであると、私は、あのお経を聴く度に、疑問に思うのです。
もしも、お通夜やお葬式に行ったとき、私達の心に溶け込むようなお経であれば、どれだけ、私達はその場で多くを学ぶことが出来ることか・・・、そして、残された遺族も救われるであろうことか・・・。
仏教については、その尊さを後世にも生かし続ける為にも、そして、この混乱、闇世を光で照らし救う為にも、早急に改革が必要であると、私は、ずっと、ずっと、そのように思えてなりません。
それは、きっと、異次元のあちらの世でも、希望されておられることなのではないかと、私はそのように思うのです。
今回、この神道の記事が切っ掛けとなり、日頃から、ずっと書きたかった私の仏教に対する熱き思いを、ここまでの展開で語ることが出来て、今、とってもスッキリしています。
大切なことは、本質であり、形では無い!大切なことは、形式では無く、心である!と、私は強く信じております。
何卒、その思いを、今後の仏教にも生かして下さればと、切に思わずにいられないのであります。
では、今日も長くなってしまいましたが、ここまでお付き合い下さいまして、有難うございました。![]()
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