先日から、箸墓古墳について記事を書かせて頂いておりますが、その後、宮殿跡の方も観に行きましたので、本日は、そのお写真の方をアップしてみたいと思います。
この宮殿跡の場所ですが、私が思っていたよりも、かなり狭い敷地でありまして、纒向遺跡全体は、もっともっと、巻向駅一帯の広範囲となっているようなのであります。
巻向駅に着いた時、まず、目に入ってきたのがこの宮殿跡の場所だったのですが、私は、てっきり、駅の近くに一戸建てを建てている?建築現場だと思っていたのです。r(^ω^*))) ほんと、笑える奴ですよね。ヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ
そして、前回の記事で登場致しました、一期一会の女性に道を尋ねてみたついでに、宮殿跡の場所を聞いてみたとき、「あの駅の近くに宮殿跡は有るみたいですよ。」と教えて頂きまして、その時、「え~ッ!?あれがそうだったんですか~?(@Д@;てっきり、家を建てている所だと思いました~。」って、実は、ほとんど、あまり調べもせず、「行ったら行ったで何とかなるだろ~!
」って、そんな気楽な気分で現地にやって参りましたのですぅ。

そして、散々、箸墓古墳で感動したあと、この宮殿跡を観に来たなら、遠目で見た感じ
、何やら皆さん良く見ると、駅のホームから線路を越えて観ているようで?「なに~!?
なんで、あんな危ないことして観ているの~!?w(゚o゚)w」って思った私は、駅の裏へ周り、「どこか宮殿跡を観に行く道は無いか?」って、宮殿跡を求めて、トコトコ、テクテク一人歩いていると、向こうの方から、またもや、例の道を尋ねた時の女性が歩いてくるではないですか~!
そして、また、「宮殿跡に行く道は向こうにありますか?」と聞いてみたなら、「私は、他の古墳やなんかを色々観に行ってきたんですが、宮殿跡は、皆さんホームから観られているみたいで、立ち入り禁止になっていて柵がしてあるみたいですよ。」って、また親切に教えて下さった上、「よかったら、これ、あげましょうか?」って、何やら、ボランティアの方に貰ったらしい資料なんかも、すんなりと頂きまして、難しいので分からないからいらないと言われたのです。(*^-^)
そして、またまた、その女性と足早に駅に戻りまして、ホームから撮りました写真が、このアップ致しました写真の数々なのであります。(*^-^)
関係者以外は中に入れず、このように柵が少し邪魔な感じで写っておりますが、観にくくって誠にゴメンナサイです。(*^-^)
そして、その後、私が夢中で写真を撮っていると、電車が来てしまい、先に切符を買っていたその女性は、慌てて電車に飛び乗って行かれ、全然、時刻表も見ていないし、切符も買っていなかった私は、その後、呑気に、時刻表を初めて見て驚きました!(@Д@;
「え~ッ!?次は、一時間後~~~!?モヒャ━━((゜Д゜Uu))━━!!!!!!(@Д@;」って・・・。(゚ー゚;
ほんと、呑気な私なのです。(^-^; オマケに、家に帰ってみたなら、今度は、娘が、家のカギも閉めずに遊びに飛びだして行ってしまったようで・・・(@Д@;、ほんと、これまた、「え~!?カギが、か、か、か、かかって無~~~い~!?\(;゚∇゚)/」って、もう、焦りっぱなしなのでありました。(;´▽`A``
そんな写真が以下の写真です。(*´v゚*)ゞ って、どんな写真や~!?(@Д@;∑(=゚ω゚=;)
「まえおき、なが~~~!!( Д) ゚ ゚ 卑弥呼はんも、笑ろてはりますで~ぇ。( ̄◆ ̄;)」って、どこからか聞こえてきそうな?そんな記事に、今回はなっちゃいました。(*^.^*)
もと、大阪人です。(*´v゚*)ゞ

そして、この下の写真の、うっす~らと見える山なのですが、これは、「太陽の道」のライン上にあります二上山であります。
三輪山と向かえ合う山。。
そして、この二つの山は、どちらも聖なる山であり、神々の伝説の山でもあるんですよ。
三輪山の方向から日が昇り、そして、この二上山の方向へと日が沈んでいくんです。。。
とても素敵で、素晴らしいな~って思います。この二つの向かえ合う山・・。
神々の伝説の山が・・・。


我が家のベランダからも、少し見ることが出来るんです。(*゚ー゚*)
山の見える環境に住むことができ、そして、夕日が沈む山がいつも見ることができ、恵まれた幸せな環境に生きることが出来ていることに、とても感謝の気持ちを抱いています。



そして、“宮殿跡発見”のニュースについては、こちらのリンクをご覧下さいませ。
http://www.asahi.com/culture/update/1110/OSK200911100082.html
“太陽の道”については、こちらをどうぞ。
http://www.m1.mediacat.ne.jp/~ho4tab/leyline/taiyoline/N34taiyo.htm
http://yamataikoku.hp.infoseek.co.jp/22.htm
最後に、これは単なる私の感想となりますが、もともと、この纒向遺跡の場所は、太古の時代に太陽信仰があったとされる、この三輪山の近くであるということに、邪馬台国の可能性を、かなり想像することが出来ていたのですが、今年になって、橿原考古学博物館に行った時、この場所から、関東から九州までの各地の土器が出土しているということを知って、ますます、これは、かなりの大物がいて、かなりの栄えた地があったのだな~。と思い、邪馬台国と結びつく可能性が、私の頭の中で、大きく膨らんでいきました。
現に、これはニュースで知ったことなのですが、調査の結果では、東西2.5キロ、南北1.5キロの範囲に広がる、3~4世紀では国内最大の集落があったらしいのです。
そして、近くには、箸墓古墳を始め、他にも多くの大型前方後円墳があることからも、ますます、私の頭の中では、邪馬台国の可能性が膨らんでいく今日この頃なのであります。(゚ー゚)
が、人間というものは、真実に向かう時、あ~でもない、こ~でもないと思い、激しく議論を交わし合い、共に真実を追い求めるということは、とても大切な過程であると思うのです。
それは、けっして、この邪馬台国についてだけでは無く、あらゆることに対してそう思います。
そして、その苦労が、やがては報われ、実となり、いつかは、真実に辿りつけるものなのだと思うのです。
ですので、近畿説VS九州説といった戦いでは無く、お互いに切磋琢磨しながら、真実に向かい、真実を追い求め合う同志として、これからも、あ~でもない、こ~でもない、をくり返すということは、この時の流れの、そして歴史上の、ほんの一部分として、大切にするべき研究と調査と時間だと思うのであります。
考古学ファンの方達も、どうか、日本の研究、調査、技術を信じ、今後も共に、暖かな眼で、見守って頂きたいなあ。。と思います。


今日も、ご覧下さいまして、有難うございました。






PS
太陽の道上の遺跡や神社仏閣等って、正確には、何秒までは揃っていなく、少しギザギザになっているのですが、私は、少しのズレ程度なら全然!何の問題も無い!と、勝手な判断でそう思っています。
そして、この記事を書いていて気付いたのですが・・・。私の家って、もしかして・・・、この太陽の道のライン上なのかも知れないのです。。。r(^ω^*)))
何秒までは、ハッキリ分かりませんが、北緯34度32分までは、もしかすると同じかも知れないです。
一度、真剣に調べてみようと思います。(*゚ー゚*)
太陽さま様!素晴らしいですよね!太陽って!!
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